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浦辺粂子

なつかしす。

静岡県賀茂郡下田町(現下田市)生まれ。父は建長寺派・長松山秦平寺の住職(臨済宗)。一生食べる米に困らないように、くめと付けられる。

1909年に、父が河津町見高の洞雲山隠了寺へ移ったため、見高入谷尋常小学校に入学。母の姉が、東京の明治座で吉野屋という売店を経営しており、いつも演芸雑誌や芝居の絵番付に触れていたことから、芝居好きとなる。5年生の時に、隣の稲取町にかかった連鎖劇(トーキー映画と舞台劇を組み合わせた劇)に心を奪われ、今井浜で近所の子と一緒に芝居ごっこに熱中していた。

1914年に、父が駿東郡金岡村字岡宮(現沼津市岡宮)の妙心寺派・仏日山常照寺に移るにともなって、金岡尋常高等小学校に転校。1917年に高等科を卒業して、私立の沼津女学校に進学。この頃から、休日にはよく母と一緒に芝居見物に上京するようになる。市川左団次や松井須磨子の舞台を見ているうちに、本格的に役者への願望が増していき、1919年に中退。

しかし、家族に猛反対された。そこで、父には内緒で、母を口説き、20円の金を借りて家出する。そして、女優への足がかりとして沼津に来ていた奇術団の一座に飛び込み、旅費が工面できない間、遠山みどりの芸名で一座とともに全国を巡業する。1921年に山梨県大月に来たとき、やっと一座を抜けて上京する。

最初は日活向島撮影所を訪れるが、守衛から門前払いをくらう。しかたなく、浅草の根岸歌劇團のオペラ小屋である、金竜館の踊子としてデビューする。しかしながら芽が出ず、当時、浅草で絶大な人気があった浅草オペラの田谷力三からは「君は素質もないし、器量も良くないから、家に帰った方がいいよ」と言われてしまう。

この頃、芸名を静浦ちどりと変え、音楽部員でチェロを弾いていた外山千里(のちにムーランルージュ新宿座を旗揚げした佐々木千里)から紹介された曾我廼家五九郎一座や、大阪の浪花少女歌劇團に所属する。少女歌劇団では芸名を遠山ちどりとし、ここで、のちに溝口健二夫人となる嵯峨千枝子と出会い、サガチー、トーチーと仇名で呼び合う仲となる。

1922年に退団して上京、上野公園で催された平和記念東京博覧会の余興で、再び、静浦ちどりの芸名で混声歌劇団に参加する。そこで出会った杉寛と横須賀へ巡業し、さらに、その横須賀で出会った新派女優とともに、高田馬場にあった活動写真の小松商会に入社した。監督の波多野安正や、夫人の松本静子から、演技の勉強のために薦められた、早稲田にある玉椿劇場という新派一座の舞台に立っていた。

しかし、1923年に撮影所は解散してしまう。思いあぐねていたところ、易者から「このまま東京にいると死ぬか大怪我する」と言われ(実際、この年の9月に関東大震災が起こった)、また昔の仲間がいることから、大阪へと向かい、オペラの沢モリノ一座、新京極の中座と一座を転々とする。しかし、新派の筒井徳二郎一座と合同公演した際、筒井一座の娘役が急病で倒れたため、その代役に立ったところ、座長に認められて筒井一座に移る。この一座の名古屋公演に同行して、スター扱いで『月形半平太』などに出演、新聞の演芸欄に名前が載るようになる。

またこの頃、日活京都の装置部にいた波多野から、日活の女優採用試験を受けるよう薦められる。そして、六十数人の中から選ばれた五人のうちに入り、ついに夢にまで見た活動写真の女優となる。撮影所長から「ちどり(千鳥)なんて、波間に漂っている宿無し鳥で縁起が悪い。静浦の浦を残して浦辺、それに本名のくめは縁起がいいから、子をつけて粂子」と改名を言渡され、芸名を浦辺粂子とした。

日活京都で、尾上松之助の相手役として『馬子唄』でデビュー。日活旧劇(時代劇)女優としては、岩井咲子に続く第2号ということになったが、ついた役は、女中や腰元ばかりであった。第二部の『清作の妻』で、映画に出演し、性格女優として人気を博す。その後、結婚により退社するが、離婚して復帰する。そして、日活大争議により退社し、入江プロを経て、新興キネマ太秦撮影所に入る。 のち、新興の大映吸収にともなって大映所属となる。大映倒産後は、フリーとなった。また、20歳代から老け役女優として活躍していた。

戦後日本映画全盛時代の1950年代からは、名脇役として目覚しい活躍を見せた。成瀬巳喜男、小津安二郎、黒澤明といった名匠の作品にも、多数出演している。

1980年代には、テレビのバラエティ番組でも「おばあちゃんアイドル」として人気を呼ぶ。タレントの片岡鶴太郎によくモノマネされ、ネタがすぐばれる手品などは大変有名であった。フジテレビ系のバラエティ番組『ライオンのいただきます』では、塩沢とき等とともに常連ゲストの一員だった。

1982年ごろに「るんるんるん♪」と歌っている「わたし歌手になりましたよ」で歌手デビューを果たした。これは、1992年にきんさんぎんさんに抜かれるまで、日本での最高齢レコードデビュー記録であった。

1989年10月25日、自宅で料理中に、洋服の袂にコンロの火が引火、全身に大火傷を負い、翌26日搬送先の病院で死去。享年87。

最後が悲しいね。

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